帝室ロシア・バレエ発展の一助となり、英国バレエの誕生に寄与した「チェケッティ・メソッド」

イタリア生まれの著名なバレエ・ダンサー・指導者、エンリコ・チェケッティ(1850年〜1928年)は、バレエ発祥の地イタリアの高い技術をロシアに持ち込み、ロシア・バレエ界にセンセーションを起こしました。

若き日のエンリコ・チェケッティは、世界初のバレエ理論書を出版したカルロ・ブラシスの2人の弟子から指導を受けました。1人はマリー・タリオーニの父親フィリッポ・タリオーニ、もう1人はジョバンニ・レプリ。その後、ミラノ・スカラ座で第一舞踊手になり、1887年には帝室マリインスキー劇場にスカウトされて第一舞踊手となります。
ダンサー、マイム・アーティストとして現役活動を続けながらも団員の指導を任せられ、ブラシスの理論を基に独自の指導法を確立していきます。次第にマリウス・プティパの右腕としてバレエ作品の振付にも関わるようになり、中でも有名なのがチェケッティが振付・初演した眠れる森の美女「青い鳥」と「カラボス」。他にも現在プティパ作品として親しまれている作品が実はチェケッティの振付ということもよくあります。

帝室マリインスキー劇場で指導していた頃の
チェケッティ(中央)

チェケッティは指導や振付の傍ら、上演作品に含まれる高度な完成形がどのような要素の動きから成るのかを精緻に分析し、要素別エクササイズとして体系化しました。世界で初めて、舞台を8方向に意識化させることで(図1)、バレエのポジションはより洗練され、回転の技術は更にダイナミックに進化しました。また鍛えるべき筋肉グループや動きを基に、曜日別6グループのカリキュラムを組み、練習の進め方や網羅性にも配慮しました。技術面と芸術面を均等に鍛えることにも注力し、技術面、芸術面それぞれにフォーカスするエクササイズがあるのも特徴です。
バレエの動きやポジションの法則を「チェケッティ14の原理」としてまとめ、ダンサーや学生が動きを理論的に理解できるようにしたことも、このメソッドが愛される理由の一つです。

帝室マリインスキー劇場のバレエ作品や指導に大きな影響を与えたチェケッティは、帝室バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)でも指導者として活躍します。弟子の一人、アグリッピナ・ワガノワ(ワガノワ・メソッドの創始者)は彼の指導に感銘を受け、その原理をワガノワ教育システムのベースの一部にしています。

その後、ポーランド帝室バレエ学校教師を経て、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ団「バレエ・リュス」へ移籍。パリを中心に活動した「バレエ・リュス」はパブロ・ピカソ(美術)、クロード・ドビュッシー(作曲)、ジャン・コクトー(台本)、ココ・シャネル(衣裳)などの才能が集う、伝説のようなバレエ団でした。所属ダンサーから「ツアー中もチェケッティのお稽古を毎日受けたい」という強い要望があり、チェケッティもバレエ・マスター及びキャラクター・アーティストとしてツアーに同行するようになったのが移籍のきっかけでした。そこにはその後英国バレエ界のパイオニアとなるデイム・ニネット・ド・ヴァロワ(英国ロイヤル・バレエ創立者)、デイム・マリー・ランベール(ランベール・ダンス・カンパニー創立者)、デイム・アリシア・マルコヴァ(イングリッシュ・ナショナル・バレエ創立者)も在籍していました。
団員から厚い信頼を受けていたチェケッティ。スターダンサーの一人、アンナ・パヴロワは私費で個人レッスンを受けていたほどです。

チェケッティとパヴロワ

チェケッティとパヴロワ

1918年、チェケッティはロンドンに渡り、自身のバレエ学校を設立します。1922年、チェケッティとその弟子たちが集い、エクササイズ集を後世に遺すことを目的に英国チェケッティ協会を設立。初代会長はエンリコ・チェケッティ。副会長は妻のジュゼッピーナ・チェケッティ。会員はシリル・ボーモント (英国のダンス史家、批評家、翻訳者)、マリー・ランベール(英国ランベール・バレエ創立者)、ニネット・ド・ヴァロワ(英国ロイヤル・バレエ創立者)、マーガレット・クラスク(フレデリック・アシュトンやマーゴ・フォンテインのバレエ教師)など英国バレエ界を率いる錚々たる面々でした。 

英国ロイヤル・バレエ創立者 デーム・ニネット・ド・ヴァロワ

英国ロイヤル・バレエ創立者
デイム・ニネット・ド・ヴァロワ

ランベール・ダンス・カンパニー創立者 デーム・マリー・ランベール

ランベール・ダンス・カンパニー
創立者
デイム・マリー・ランベール

イングリッシュ・ナショナル・バレエ創立者 デーム・アリシア・マルコヴァ

イングリッシュ・ナショナル・
バレエ創立者
デイム・アリシア・マルコヴァ

1924年には英国チェケッティ協会が英国ISTD(Imperial Society of Teachers of Dancing)(*注釈1)と合併。現在では実技資格の最高位であるエンリコ・チェケッティ・ファイナル・ディプロマ(バレエ団員のためのエクササイズ)を頂点とし、未就学児から始められる21のグレードに合理的に体系化されています(図2)。

斬新なアイデアや動きを次々と生み出し、後のバレエ作品だけでなくモダン・ダンス、コンテンポラリー・ダンスにも影響を与えたチェケッティ。彼のエクササイズからインスピレーションを得て創られた作品も数多く、その代表例が今日でも英国ロイヤル・バレエなどで上演されているフレデリック・アシュトン、ニネット・ド・ヴァロワ、アントニー・チューダー、ブロニスラヴァ・ニジンスカらの作品です。

彼の弟子たちは世界中に散らばり、その後ダンサーや教育者として大きな功績を残しました。現在「チェケッティ・メソッド」はアメリカやカナダのバレエ学校でもカリキュラムとして採用されています。

(*注釈1) 英国ISTD(Imperial Society of Teachers of Dancing)は1904年ロンドンで創立。英国政府認証のダンス指導者・学習者のための教育機関。

参考文献

「英国ISTD」 Webサイト
https://www.istd.org/dance/dance-genres/cecchetti-classical-ballet/history-of-cecchetti/

「チェケッティ・インターナショナル」 Webサイト
https://cicb.org/

The Enrico Cecchetti Diploma Blu-ray/DVD
https://shop.rbo.org.uk/products/the-enrico-cecchetti-diploma-dvd-bluray